ふいごの歴史 2 古代

ふいごの歴史  中世  近世  

 日本の製鉄の起源と古代における発達については、本書の高橋一夫論文に譲るが、発掘調査報告によるかぎり、 自然風の利用が想定される大型羽口は例外的であって(埼玉県・大山遺跡)、西日本に多い長方形の炉であれ、 東日本に多い円形の炉であれ、多くの場合小形羽口であることから、自燃風では高温が得られるかどうか疑問であって、 鞴が用いられたと考えられる。

 また近年平城京址から「鍛冶」の木簡とともに羽口が多数出土したことから、 宮内省の「鍛冶司」等で鞴が使用されたことが証明された。

 これら製鉄・鍛冶、あるいは鋳造に用いられた鞴がどのような形のものか知ることはできないが、文献史料によるかぎり吹皮と考えられる。

 9世紀末ごろの『新撰字鏡』では、ふいご(鞴と同字=下図参照)を「火を吹く皮」とし、 10世紀初めの『延喜式』では木工寮の年料として「鍬五十口」のほか「鍛冶吹皮料の牛皮十五張」を挙げている。 また10世紀30年代の『倭名類聚抄』では鞴の訓を「布岐如波(ふきかわ)」としている。
葉賀七三男氏の『尾鉱録』に引く法華寺の金堂造営に関する文書では、「吹皮二張の直」と「吹皮二張の作工四人の功」を、 興福寺の西金堂造営に関する文書では、「吹皮等縫料」と「吹皮等練料」を記している。

ふいごの羽口 難波宮出土

ふいごの字

皮ふいご

講座・日本技術の社会史 第5巻   採鉱と冶金 日本評論社 1985年   p274-276  今井 泰男



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