ふいごの歴史

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 鞴(ふいご)は、冶金・金属加工の技術に欠くことのできない用具であって、製鉄・鋳物・鍛冶、金銀銅の精錬・加工の技術史研究には、 それぞれかならずとりあげられてきたが、鞴そのものの歴史はかならずしも究明されてこなかったことは否めない。

 人類が青銅器の時代を経て鉄器の時代を迎える過程で、銅の精錬・合金・鋳造・加工、製鉄・鋳鍛造に必要な高温の火力をつくるために、 自然風の効率的利用にさまざまな工夫を重ねるなかで、強制送風の用具として作成されたのが鞴であったと考えられる。
 じつに紀元前15世紀の遺跡であるエジプトのテーベ墳墓には、皿鞴を踏み、綱で引っぱりあげる図が描かれているのである。

 鞴は、銅と鉄の生産・加工技術とともに伝播と改良の長い歴史を経て、中国から、あるいは朝鮮を経由して日本に伝えられたのであろう。

 中国では、山東省藤県宏道院の漢代の出土品に、上からつった袋鞴のレリーフがあり、 また『後漢書』杜子伝には「水排を造作し、鋳て農器を為(つく)る」とあって、水排すなわち水車に連動する排(鞴)が用いられたことを記している。

 朝鮮では、京畿道加平馬場里の紀元前2〜1世紀と考えられる冶鉄住居址から鼓風管すなわち羽口が見出されている
(羽口は鞴の存在を示すものと考えられるが、自然風の吸入口もあり得るので細心の観察が必要である)。

ベニ・ハッサンの壁画

皿鞴 レクマラの壁画 

後漢の水排

講座・日本技術の社会史 第5巻   採鉱と冶金 日本評論社 1985年   p274-276  今井 泰男



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