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   夢通信    衣川製鎖工業株式会社

『灯明台 続き』  (1月号)


 灯明台の事を12月の『夢 通信』に書きました。その終わりに、それらの資料があれ ばお送りください、と記しました。
 早速、資料が届きました。大変ありがとうございます。それは、第七管区海上保安本部 灯台部 浮標課長の福満俊次様からです。課長が第四管区海上保安本部に赴任されていた 時に集められた貴重なもので、下の絵にある上有知湊燈台(こうづちこう、美濃市)七里 の渡し(名古屋市)と住吉燈台(大垣市)前芝燈.明台(豊橋市)の四つで、カラーの写真 と共に解説文がついていました。その一つをご紹介します。

 上有知湊燈台(こうづちこう、美濃市)

 美濃市の町は関ケ原の合戦の後に飛騨高山城主金森長近(かなもりながちか)がつくっ た長良川ぞいの城下町で、日本で最も多く卯建(うだつ)のある家が残っていることで知 られていますが、この卯建とは防火壁の役をなすもので財を成さないと卯建はつくれず 『うだつがあがらない』の語源ともなっています。

 慶長六年(1601年)金森長近が城主となり美濃の町の北側に小倉山城を築き城下町 上有知をつくり、この繁栄策として長良川に上有知湊をひらき番船四十隻をおき物資の交 流要地としました。
 その後江戸時代は美濃国四大川湊の一つとして明治末年電車が開通するまで水運の要点 でしたが、この上有知湊燈台は、水の守護神住吉神社の献灯を兼ねて江戸末期に建てられ 夜毎川面を照らしていました。
 川湊の燈台としては現存する全国的にも珍しい貴重な建物であり、岐阜県指定史跡とな つています。



 貴重な資料を本当にありがとうございました。心より感謝致します。
『夢 通信』が一方通行の通信ではなく皆様からのご意見を項きながら、
双方向のコミュニケーション手段となることを願っております。

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