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   夢通信    衣川製鎖工業株式会社

『初めての灯台』  (正月号)


明けましておめでとうございます。 今年も宜しくお願いします。 今年も宜しくお願いします。

 昨年に続き、灯台の話3回目です。観音崎灯台が初めて点灯したのは明治2年1月1日 (1969年)です。この灯台は四角い建物の上に灯塔をのせ、レンガづくりで白色に塗られ ていました。フランス人技師、ヴェルニーとその部下達が建設し、彼らの努力により、2 年間に合計4つの灯台が次々と作られました。(野島崎灯台、品川灯台、城ケ島灯台) それ以後、建設された灯台はイギリス人、土木技術者のプラントンを長とする三人の技術 者たちで、全国に28の灯台を建設しました。プラントンは灯台の建設というハード部分 だけではなく航路標識管理、灯台管理方法などソフト面での体制整備に大きく寄与し 『日本の灯台の父』と呼ばれています。
 急速な灯台整備の背景は、長州藩によるアメリカ商船、フランス軍艦、オランダ軍艦を 砲撃した、下関事件です。その賠償金として300万ドルを請求された徳川幕府は100 万ドルを支払い残金の支払い遅延を要請したところ、イギリスを加えた四ケ国は権利放棄 の条件として、輸入税の軽減、兵庫・大阪の開港、など12の条件をつけました。そのう ちの一つが、航路の安全を確保する為の灯台建設が含まれていたのです。その為、徳川幕 府はフランス・イギリスに灯台設備とその建設を委託しました。殖産興業、富国強兵を望 む明治政府は灯台整備の計画を引継ぎ、航路標識を整えていきました。(日本の灯台より)

カラー コピーで編集しました。   (XEROX Acolof620)

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