ナポレオンの舟橋  (1月号)

 舟を並べロープで結びその上に板を敷きつめたもので、洋の東西を問わず古代から 近世に至るまで多くは軍事の仮設橋として使われました。紀元前493年ペルシャ王 ダリウスT世は幅1Kmのボスポラス海峡に舟橋を架け、数十万の軍隊を渡したと言われています。
 ナポレオンは1809年オーストリアのウィーンを占領した後、ドナウ河の対岸にいる カール大公と決戦した。しかしドナウ河を渡河できないため一敗地にまみれる。ナポレオンは 直ちに反撃を開始、ドナウ河の渡河が何より重要と判断し、ウィーン兵器廠にあった スレーマン大帝がブタを攻撃した時、ドナウ河の封鎖に使った長さ360M重さ16トンの
『スレーマン大帝の鎖』(1529年)を引き出し、ドナウ河に200隻の舟を並べ、鉄鎖で繋ぎ、 嵐をついて渡河し、撃破しました。 『スレーマン大帝の鎖』はロングリンクチェーンだとすると、 直径が42φmm〜44φmmくらいにもなります。どんな形状でどんな製造方法だったか興味があります。


参考図書

橋のなんでも小事典 土木学会関西支部  講談社    91年
溶接千一夜(84話)   奇山 兵三  産報出版
橋の博物誌        


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