三蔵法師と吊り橋  (正月号)

 鎖の吊橋の歴史は、中国が最も古いといわれています。既に隋や唐の時代 以前に、鉄の鎖で吊った橋の遺跡が知られています。また『西遊記』において 孫悟空の師として有名な玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が7世紀に書いた 旅行記『大唐西域記』には、鉄線の橋を渡ったことが記されています。
 そのような鉄の吊り橋の中で、濾定橋(ろていきょう)は今も残る歴史的 古橋として、又、中国革命の工農紅軍の長征における大きな功績によって名を 残しています。この濾定橋は清の時代、当時の皇帝康熙帝(こうきてい) 自身の手で橋碑に記されているように、康熙45年(1706年)に完成しています。
 これは四川省の省都、濾定県の県域の西側を流れる大渡河を、途中の橋脚なしに 約100メートルの川幅を一気にまたぐ、鉄鎖で吊られた橋です。
 鉄鎖の全長は橋よりも約25メートル程長く、約900個の楕円形の環を
つないでいます。各鎖環には、製作者の名前が鋳込まれていると言われています。
 1935年5月、この橋をめぐって激しい戦闘がありました。毛沢東の率いる 紅軍は北征し、蒋介石の国民党軍と対峙し、紅軍は国民軍の挟撃包囲作戦を打開 するため、濾定橋に急襲をかけました。
 切手図に描かれているように、突撃隊兵士たちは揺れる冷たい鉄鎖に手で掴まり、
砲弾で燃える橋板を足で踏みながら敵陣に侵攻しました。この勝利は、その後の長征の成功につながりました。
 300年に近い歴史を誇るこの濾定橋は、中国革命の歴史においても名声を残しました。
1977年、国が修理費を出して補強をおこない、重点保護の対象として保存されています。
 (いろいろな鉄(上)松尾宗次)
 絵から大きさを推測すると、直径34φ〜40φmmで約120Mの重量が3.3トン〜4.0トン
にもなり8本使われている全体の重量は少なく見積もっても25トン以上にもなります。


参考図書 いろいろの鉄 (上)  松尾 宗次  日鉄技術情報センター

この切手は、収集家の友人岩崎善太氏に中国より取り寄せて頂いたものです。
この橋の写真が欲しいものです。どなたかお持ちの方はおられませんか?

今年も宜しくご指導ください。


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