
神子畑鋳鉄橋 (2月号)
姫路から播但有料道路を40Km北上すると終点の生野北インターチエンジです。
生野銀山の歴史は古く、大同2年(807年)と言われています。室町時代、天文11年(1542年)
には山名祐豊が銀鉱脈を発見し本格的な採掘が始まりました。織田・豊臣の時代を経て、
江戸時代には『銀山奉行』が置かれ、銀山として最盛期を迎えます。
明治元年、政府直轄鉱山となった生野銀山にフランス人技師、ジャン・フランソワ・コアニエが着任、
軌道や巻上機の新設など数々の新進的施策をとり目ざましい近代化をとげました。
この生野鉱山へ神子畑の鉱石を運ぶべく整備された全長16Kmの運搬道に神子畑鋳鉄橋は架かっています。
当初は羽淵橋・二連式鋳鉄アーチ橋・吊り橋・アーチ橋(弓に矢をつがえたような)など5つの橋がありましたが、
現存するのは近くの河川公園に移設された羽淵橋と神子畑鋳鉄橋です。
工部省によって架けられたと考えられますが、資料不足の為、設計者や製作者は判っていません。
橋の一部にグラスゴー(GLASGOW)の刻印がありイギリスから輸入された可能性もあります。
昭和52年に国の重要文化財に指定されましたが、傷みがひどく昭和57年から大規模な修理が行われ
今はひっそりと谷川を見下ろしています。
参考図書
橋のなんでも小事典 土木学会関西支部 講談社 91年
溶接千一夜(84話) 奇山 兵三 産報出版
橋の博物誌
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