稲村ガ崎の砂鉄
鎌倉の海岸に新田義貞の碑が建っています。昨日バスでこの海岸沿いの道を走った時、
あれに違いないと黒い海岸の砂浜をみていたのです。3月12日(土)、鎌倉駅前の百貨店で
磁石を買ってから、この海岸を訪れました。
江ノ島電鉄の稲村ガ崎駅から下り坂を約200m、浜辺に向かって歩きました。春の日
差しがまぶしく海は光っていましたが、海からの風は強く、砂を道に吹き上げてきます。
小川が流れ込む海岸付近の砂は真っ黒です。『あれだ!!』ここには砂鉄がたくさんあるこ
とを本で見ていた私は、余りの黒さに驚きました。早速、持ってきた磁石で砂鉄であるこ
とを確認し、黒い砂をそのままナイロンの袋に詰めました。
向こうに親子連れが見えます。お父さんは黒い砂の上に座って、何やら手を動かしてい
ます。かわいいい女の子は砂浜を走っています。『砂鉄取りですか?』子供に尋ねると
『・・・、・・・』風が強くて声が聞こえません。近くへ寄って聞いてみると、3年生の娘
が理科の授業で磁石の勉強をするので、砂鉄を取りに来たとのこと。子供に、天然磁石の
こと、1万円札が磁石にひっつくことや、磁石にひっつく石ころがあることなど、磁石の話
をして別れました。
この海岸に流れ込む小川には極楽寺橋の名前が刻んでありました。地図を見ると、この
川は極楽寺の近くから流れ出しています。持って帰った黒い砂を調べてみると全部が砂鉄
でした。
稲村ガ崎の説明
稲村ガ崎は今は、美しい公園になっていますが有名な古戦場です。元弘3年(1333)5月、
新田義貞が鎌倉攻めの際の、鎌倉への突破口となった所です。北条軍の強固な守りにより、
新田軍は鎌倉へ攻めあぐんでいました。5月21日の深夜、稲村ガ崎に至り、岩頭に立って、
竜神に祈ったと言う場です。義貞は潮の引いたのを見て、6万騎を率いて稲村ガ崎の岸壁
沿いに鎌倉へ突入し、源頼朝以来150年続いた鎌倉幕府は滅亡させました。
http://www.kamakura-burabura.com/meisyohaseinamugasaki.htm
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