大手門の話                武田 健     姫路鷺城ライオンズクラブPR情報委員長

 あの門いつ建てられたの?えーそんなことーという建造物もある。
 姫路市民は、もちろん、観光客のほとんどが潜ってその美事さに感嘆の声を上げる大手門だが、 明治に入って陸軍が三の丸の一部を利用するため取り潰されていた桐ニ門を復元したものであるが、 これが何時どのようにして造られたかは余り知られていない。
 江戸時代あの地には奥から桐一門・桐ニ門・桜門と三つの門によって守られていたものを図面も ないまま復元されたが、位置としては桐二門の場所になる。

 昭和に入って史蹟に国宝として二重の国家的保護を受けたことから姫路城に対する国民の関心は 果然高まり、西の丸再修理が終わると新たに三の丸復興計画が建てられることになった。
 昭和11年9月に着工、10月27日上棟式を行い、同13年3月に竣工したのが現在の大手門である。
 構造は掖門附高麗門で、屋根は切妻・瓦茸とした。
 工事費は石材代・材木代・金物代・瓦代・工事代等は合計13380円51銭であった。
 この桐ニ門に続いて他の諸櫓、多門長屋などの工事計画がなされ、諸櫓工事代、10万20円、石垣積替、 4万8023円が見積もられたが、支那事変継続のため、不急工事は繰延中止の止むなきに至って、 桐ニ門を新築したのみで終わったことは、残念なことである。

     



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