神奈川県、三浦半島の観音埼灯台が初めて点灯したのは明治2年1月1日(新暦)(1869年)です。
この灯台は四角い建物の上に灯塔をのせ、レンガづくりで白色に塗られていました。
フランス人技師、フランソア・レオンス・ヴェルニーとその部下達が建設し、彼らの努力により、
2年間に合計4つの灯台が次々と作られました。(野島埼灯台、品川灯台、城ケ島灯台)
それ以後、建設された灯台はイギリス人、土木技術者のリチャード・ヘンリー・ブラントンを長とする三人の技術者たちで、
明治元年(1868年)来日以来、帰国するまでの8年間に全国26の灯台と2つの灯船を建設しました。
ブラントンは灯台の建設というハード部分だけではなく航路標識管理、
灯台管理方法などソフト面での体制整備に大きく寄与し『日本の灯台の父』と呼ばれています。
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