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碇石 (いかりいし) 2

元 軍 船 碇 石(いかり いし)

 この「碇石」は、文永11年(1274)、弘安4年(1281)の二度にわたる元冦の時、元の軍船に使用されていたと考えられるものです。元冦の時、多くの元の船が北九州沿岸に来襲しましたが、折からの暴風雨のためにその大部分が沈没したと言われています。このため、北九州沿岸部からこの「碇石」と同様の石が発見されています。
 古代においては、碇は単に石に綱をつけただけのもので、『万葉集』では「重石」と書いて「いかり」と読ませています。定型化した碇がいっから使用されるようになった時期はわかりませんが、中国の例では9世紀頃から使用していたと推定されています。
 日本では、鉄製の碇が登場するのは15世紀前半で、普及するのは17世紀中期以降といわれています。したがって、木碇は近世の初期までー般的に使用されていたものと思われます。
 ここに展示した「碇石」は、昭和6年から15年の間博多湾の浚渫工事中に発見された6点の内の1点で、発見後宇品の旧陸軍運輸部に移されました。その後。昭和30年頃横浜へ移され、構浜海洋科学博物館こ展示され、さらに平成元年から釧路のフェリーターミナルに展示されていました。

 なお、絵巻『竹崎季長絵詞』(蒙古来襲絵詞)に碇の絵があります。

広島市郷土資料館による