<ウイッカムとゴムの種子>

 19世紀、イギリスは東南アジアの植民地で綿・コーヒー・茶・香料で成功を 修めていました。その頃、ゴムが今後有益だろうと言う事でインド省は研究を 始めていました。それを知ったイギリスの探検家ヘンリー・ウイッカム (1846〜1928)はインド省やロンドン郊外のキュー王立植物園に手紙を 書きました。イギリス植民地で、ゴムを栽培するのにヘベアの種が必要なら是非、 自分に集めさせてくれ。と言うものです。当時、彼は30歳で、アマゾン川の 中流域で農園を営んでいました。熱心なウイッカムに動かされ、インド省は ヘベアの種をキュー植物園まで届ければ千粒当たり10ポンド払うと約束しました。 ところがヘベアの種をイギリスまで運ぶ事は至難の技でした。ヘベアの種は 熱帯にそのままの状態で置いておくと、二週間で半分が芽を出さなくなります。 さらに、1ヶ月もするとほとんど発芽しなくなります。ヘベアの実は毎年3月ごろ 成熟し、実の皮がパーンと音をたててはじけ、何mも深いジャングルに飛びちります。 ですから、時期に如何に早く、イギリスに届けるかにかかった訳です。
 ゴムの実がはじける季節に、ウイッカムは他国に寄らず、イギリスに直行する 船を探しました。幸運な事に事情で空船のままイギリスに帰る『アマゾナス号』 が見つかりました。1,876年3月、イギリスでお金を払う約束でその船を 借り上げました。そして、さっそく顔見知りのインディオ達を励まし、大急ぎで ヘベアの種を集めさせました。こうして、一週間で7万粒の種が集められ、 一粒づつ、バナナの葉で包み、大事に船積みされました。しかし、ゴムを独占していた ブラジル政府に国外へ種が流出する事がわかったら大変な事態になります。 税関で手続きに時間がかっても発芽にかかわるので大変です。そこで、ウイッカムは 税関長をたずね、この船に積んであるのは、イギリス女王に献上するデリケートな 植物だから種子の入っている籠を開けずに通してほしいと願い出ました。 アマゾナス号は蒸気の圧力をあげて、許可の降りるのを今や遅しと待ち受けていました。 ブラジル軍艦が砲弾を向けて、違法者を威嚇している中、やっと許可がおり、無事、 出航する事ができました。
1,876年6月14日の夜中、アマゾナス号はイギリスのリバプール港につき、 急行列車でロンドンへ、その後はウイッカム自身が馬車を走らせキュー植物園の フーカー園長の家に向かいました。着いたのは午前2時、二階の窓に小石を投げつけて 文字道りフーカーを叩き起こし、ヘベアの種を引き渡しました。その夜のうちに温室の ランをかたずけ次の日ヘベアの種7万粒をまきました。そして、それらの内、 2,625本がみごとに発芽しました。当時の植物学からいくと、この発芽率は 驚異的な数だったようです。
 現在東南アジアのゴム園で栽培されている ヘベアはこのウイッカムの運んだ種子の 子孫です。以後、アマゾンの奥地で探したへべアの種を移植してもウイッカムのより すぐれたものはいまだに見つかってないそうです。ウイッカムは1,912年ゴムの 移植の功績により『サー』の称号を授かりました。

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