金生山の赤鉄鉱


刀匠 大野 兼正

 2002年11月24日(日)関市にある刀匠 大野 兼正氏の鍛刀場を見学させて頂きました。 興味を覚えて見学をお願いしたのは、ある本の中に金生山の赤鉄鉱を使って鉄を造り、 刀を鍛錬し南宮大社(岐阜県不破郡垂井)に奉納されたことを知ったからです。

 金生山は金を生む山と書かれている。昔、壬申(じんしん)の乱(672年)の時、この地方に鉄鉱石があり大海人皇子達は、 それを使って刀や槍などの武器を作ったに違いない。 そう考えた小学生(鍛冶屋の丁稚=大野刀匠)は時間を見つけては40kmほど離れた金生山へ磁石を持って出かけていました。 何度行っても磁石に引っ着く鉄鉱石が見つからず歩きつかれ、もう探しには来ないと心に決め地蔵堂で横になっていた彼に 『磁石で引っ着かない鉄鉱石もある』と教えたのは時の鉄鋼の権威東大教授、俵国一(たわら くにいち)先生だったそうです。

 赤い石の塊を沢山持って『これで鉄を造ってくれ』金生山の山持ちさんから頼まれ、当時師匠のところに出入りしていた 天野敏弘先生(豊橋工業高等学校)に分析を依頼しました。『鉄分が35%以上あったらやってみよう』調査の結果40%近い鉄分を含んでいる事がわかり、 たたらを吹きました。

 鉄はできましたが、それからが大変だったと言います。刀を鍛えるのは鉄を折り返し何度も鍛接しますが、この鉄は鍛接が出来ません。 たまたま上手くいっても次に折り返し鍛接をすると失敗をします。近隣の古墳から刀子(とうす)が出土しています。 この鉄を使ったに相違ないと考えた師匠が苦労の末に見つけたことは鍛接の温度帯が非常に狭いことだったのです。 含有された砒素の影響か、鍛接に適した温度が1150℃から 1180℃のわずか30℃しか範囲が無かったのです。 出来あがった刀は古墳から出土した刀子(とうす)と非常に良く似た地肌を持っていました。 上手で体力も気力も充実していないと決して実現しない刀づくりだったのでしょう。

鍛冶屋歴70年の刀匠はもう3ケ月で私も80才になる。こんな年よりが頑張る時代もそう長くはないだろう、と笑っておられました。

真言宗 金生山明星輪寺のホームページ 『赤鉄鉱たたら造』右上の写真をクリック
大野 兼正 刀匠も写真に写っていました。
http://www.mirai.ne.jp/~kinsyou3/
写真下は 兼正流小たたらの本体部分

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