錬鉄 七枝刀

目の後ろにバネが入っています
 錬鉄とは良く錬られた鉄のことです。昔、日本の製鉄は温度が低く鉄の融点1535℃ までは上昇しませんでした。そこで、溶けてしまわないスポンジ状の鉄塊、海綿鉄を作り ました。

 この鉄を何度も何度も折り返し鍛接して、鉄滓(てっさい=不純物)を取り除き鉄を作 ります。こんな鉄のことを『百錬』の鉄と言いました。大鍛冶屋の作った割鉄(包丁鉄) では炭素量が0.1 %程度です。イギリスで言うロートアイロン(錬鉄)も良く似た鉄です。

 奈良県天理市の石上(いそのかみ)神宮に古来より神宝として伝えられた鉄剣。『七枝刀』 は左右交互に各3個の分枝をもつ特異な形状で、<日本書紀>神功紀52年条の〈七枝刀 (ななつさやのたち)〉だと言われています。この刀身の表裏両面に金象嵌された61文字 の銘文があります。判読が困難な部分が多く、色々の案が出されていますが、ここでは、 古田武彦(ふるた・たけひこ)氏の説『古代は輝いていたI』(朝日新聞社 1985)か ら紹介します。

剣の形状をしてはいますが、突き出した枝は戦闘には使えず、柄を固定するための目釘 穴もありません。戦場で使うためではなく、儀礼のために作られた珍しい形の剣です。

《表面》  泰和四年五月十六日丙午正陽 造百練□七支刀 □辟百兵 宜供供侯王 □□□□作

 解釈:泰和4年(369)5月16日の丙午正陽に、くりかえし鍛え抜いた七
    支刀を造った。おびただしい軍兵をしりぞける(に足りる霊力をもつ)。
    これは(中国の天子の外臣たる)侯王に供するにふさわしいものである。
    某々作。 《裏面》  先世以来 未有此刃 百済王世子 奇生聖晋 故為倭王旨造 伝示□世

 解釈:先の世以来、かつてこのような刃(じん=ほこ)はなかった。百済王と
    その世子は、聖晋のもとにその生を寄りどころにしている。故に(同じ
    東晋の天子の配下の侯王たる)倭王の為に造った。伝えて(後)世に示
    さんことを。





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