紀元前のくさり
ピレウスの港
ギリシャ・ローマ時代は地中海が主要な舞台になりました。
したがって、海上交通が地域の文化・情報と産物を伝え、運び
ました。しかし、喜ばれるものばかりが運ばれたわけではなく
嫌な敵も港から進入してきます。アテネの南西、約8キロにある
ピレウスはアテネの外港として栄えた港町です。
紀元前490年に将軍テミストクレスがここを海軍の基地としました。
そして紀元前450年にはヒッボダモスが碁盤目状の道路網を整備し、
アテネとは長城で結ばれていました。
ピレウスには三つの港があります。主港はカンタロスで
商業港と軍港を兼ねていました。岬の東側にゼア・ミュニチアの
港があります。
カンタロスは、港の入り口を城壁を延長した、防波堤で囲み、
入り口にはそれぞれ塔を持っていて、有事の際にはこの入り口を
鎖で閉ざしました。この習慣はおそらく紀元前5西紀のピレウスに
始まったもので、その伝統は中世の西ヨーロッパにまで残っている。
又、古代ローマの外港であった、オスティアの港にも、
ピレウスと同じ港を封鎖する塔が見られる。
赤い矢印のところに鎖を張りました
BC.499年 ペルシャ戦争勃発ペルシャ、ギリシャが激しく戦う
BC.493年 ギリシャの将軍に就任したテミストクレスが、
従来の開放的な港ファレンスのかわりに堅固な
要塞を持つピレウス港建設
BC.480年 ギリシャはペルシャ軍の攻撃を受けるが、200隻の
海軍艦隊が撃退する
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