
早川神社 (12月号)
昔は速川社とも言われ、兵主神(ひょうず)がまつられています。少し高くなった
その境内は市川の自然堤防の上です。『播磨国風土記』には以下のように記されています。
「安師(あなし)の里 土は中の中なり 右、安師と称(い)うは倭(やまと)の
穴无(あなし)神の神戸(かむべ)に託(つ)きて仕(つかえ)奉る。故(かれ)、
穴師と号(なづ)く。」
『延喜式』に大和国に穴師坐兵主神(あなしにいますひょうず)とあり、新抄格勅符には
神戸52戸のうち39戸が播磨にあったとあります。この神の分霊を播磨に祀ったのが早川神社で、
神の名からこの地を「アナシ」と呼んだと伝えられ、安師・穴无・穴無などと記載されましたが、
江戸時代に入って阿成の文字が使われるようになりました。
兵主神(ひょうず) = しゆう
銅や鉄の精錬技術を有する、大陸系の渡来人が信奉した神。兵器の生産神として古代中国の神話に登場。
銅頭鉄額にして、鉄石を食らう。又、その耳ぎわの毛は剣戟(けんげき)のように鋭く、
頭に角があって、それで戦うとされている。
参考図書
郷土史 ひめじ 姫路市教育委員会
青銅の神の足跡 谷川 健一 小学館 1995年
感想やご意見をお送りください。投稿も大歓迎お待ちしています。
|
|
戻る
|
進む
|