刀匠 大野 兼正 見学記 3

 真砂(まさ)砂鉄や赤目(あこめ)砂鉄のことを、大和久さんに聞いている時、外で自動車の音が聞こえました。 『師匠です。砂鉄や鉄鉱石のことは師匠が詳しいから聞いてください。』 赤目砂鉄のことが解からなかった私は色々と質問しました。『分析するとどちらも一緒だと学者は言います。 私は花崗岩が風化して出来た砂鉄が真砂砂鉄で磁鉄鉱の鉱石 が風化したものが赤目砂鉄だと考えています。』

 出雲は真砂、備前は赤目砂鉄と言いますが、全部がそうとは限っていません。出雲でも斐伊川上流の 奥出雲では赤目が取れます。又、備前でも吉井川は上流の一部で良質の真砂砂鉄が取れます。 各地の砂鉄を見せて頂き、目の粗さや色合いの差を感じました。日本各地を自分の足で 歩いて調べられた刀匠には砂鉄の、産地や特性の少しの差でも見分けられる様子でした。  自分の使う鉄は自分で作るという堅い信念の持ち主は『馬鹿呼ばわりされ歩き回り、貧 乏をしながら刀を鍛えた。貧乏と言っても炭を買う金に苦労しただけだから、好きな鉄と 鍛刀を続けられたことが幸せかな?使う金はあった、溜まる金が無かっただけや。』にこに こと語る師匠の顔に職人の自信を見つけました。

 金生山は金を生む山と書かれている。昔、壬申(じんしん)の乱(672年)の時、 この地方に鉄鉱石があり大海人皇子達は、それを使って刀や槍などの武器を作ったに違いない。 そう考えた小学生(鍛冶屋の丁稚)は時間を見つけては40kmほど離れた金生山へ磁石を持って出かけていました。 何度行っても磁石に引っ着く鉄鉱石が見つからず歩きつかれ、もう探しには来ないと心に決め地蔵堂で横になっていた彼に 『磁石で引っ着かない鉄鉱石もある』と教えたのは時の鉄鋼の権威東大教授、俵国一(たわら くにいち)先生だったそうです 。顔も知らず名前も聞かずに別れた大学者に後になって東大の聴講生として再会したそうです。


 赤い石の塊を沢山持って『これで鉄を造ってくれ』金生山の山持ちさんから、そう頼ま れ、当時師匠のところに出入りしていた天野敏弘先生(豊橋工業高等学校)に分析を頼み ました。『鉄分が35%以上あったらやってみよう』調査の結果40%近い鉄分を含んで いる事がわかり、たたらを吹きました。鉄はできましたが、それからが大変だったと言い ます。刀を鍛えるのは鉄を折り返し数度、鍛接しますが、この鉄は鍛接が出来ません。た またま上手くいっても次に折り返し鍛接をすると失敗をします。近隣の古墳から刀子(と うす)が出土しています。この鉄を使ったに相違ないと考えた師匠が苦労の末に見つけた ことは鍛接温度帯が非常に狭いことだったのです。含有された砒素の影響か1150℃から 1180℃のわずか30℃しか範囲が無かったのです。出来あがった刀は古墳から出土した刀子(とうす)と非常に良く似た 地肌を持っていました。上手で体力も気力も充実していないと 決して実現しない刀づくりたったのでしょう。鍛冶屋暦70年の刀匠はもう3ケ月で私も 80才になる。こんな年よりが頑張る時代もそう長くはないだろう、と笑っておられまし た。

 鍛錬刀場をご案内頂き、ヘシ鉄作業を見せて頂きました。

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