姫路城の概要 姫路城の歴史
姫路城は今から約670年前、元弘3年(1333)、播磨の守護職、赤松円心(則村)が
護良(もりなが)親王の北条討伐の令に応じて兵をあげ、ここ姫山にとりでを築き、
その子貞範(さだのり)が館を設けたのがその始まりと言われていました。
しかし、最近の研究では、黒田官兵衛孝高(よしたか)
の祖父と父、重隆(しげたか)
と職隆(もとたか)が主君、小寺政職(まさもと)
の許しを得て天文24年(1555)から
永禄4年(1561)の間に御着城の出城として築いたという説が有力です。
そして天正8年(1580)約420年前、羽柴秀吉が黒田官兵衛孝高(よしたか)
のすすめに
従い、中国攻めの根拠地として3層の天守閣を築きました。
その後慶長6年(1601)、約400年まえ、徳川家康の娘ムコで、世に「西国の将軍」
といわれた池田三左衛門輝政が、その豊かな財力と徳川幕府を背景に、当時としては、
まさに第1級ともいえる大城郭を築きました。
更に池田氏のあと入部した本多忠政(ただまさ)が、その子忠刻
(ただとき)の
奥方に千姫を迎え、「化粧櫓」(けしょうやぐら)や「西の丸」一帯を築き、
ここに見られる姫路城が完成したのです。
歴代の城主 右下の図
もどる
すすむ