遣唐使船

 遣唐使は、唐を中心とする東アジアの国際情勢の情報入手と、先進的な唐文化の摂取が 目的でしたが、日唐関係が安定した八世紀以降は後者の比重が大きくなりました。 唐の諸制度や文化に通じた留学生・留学僧は、建設間もない日本の律令国家を整備する上で 不可欠であり、その意味で遣唐使は律令国家の繁栄を支えていたのです。
また、今の東京大学のような官僚養成大学が無かったので、外国に情報収集もかねて留学させた ということです。しかし当時は航海技術が未熟であったため、渡航はまさに命がけでした。



 当時の船は船底が平底で、まるで箱が海に浮いているようなものでした。ですから 浪を受けるとあっけなく沈んでしまいました。八世紀の遣唐使のうち全ての船が往復できたのは、 なんとたった一回だけというから驚きです。
遣唐使船が四隻なのは、どれか一つでも中国に着く ためだったのです。遣唐大使に任命されても嫌がって拒否する人もいたそうです。まさに命がけの 留学だったんですね。ちなみに出典は「続日本紀」です。



 右の絵は厳しい航海の様子を想像して描かれたものです。



倉橋町  長門の造船歴史館

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