『 朝鮮通信使 』

 当時の様子を伝える唐子(からこ)踊り

朝鮮通信使とは、外交使節であり、文化使節、貿易の使節でもありました。朝鮮半島の釜山には、 日本の海外公館としての「倭館」があって、500人ぐらいの日本人が住んで、外交や貿易の仕事を していたのです。江戸時代の日本は、通信の国として、琉球(沖縄)と朝鮮を「好」(よしみ)を通わすクニ、 通商の国として、オランダと中国と貿易をしていましたので、鎖国はゆるやかなもので日本人の 海外往来を禁じたのみと理解しておく必要があります。

 朝鮮通信使は、江戸時代には200年あまりの間に12回も将軍がかわるたびに訪れ、日本からは、 徳川将軍の使節が釜山まで訪れたと言われています。徳寿宮には日本使節が贈った屏風や書が残っています。 朝鮮通信使は、500人規模で国王の代理の正使を筆頭に副使・従事官・書記のほか学者、 文人、書家、医師、画家、通訳、楽隊、曲馬隊、船頭、水夫など男ばかり、江戸まで8ヵ月から12ヵ月も費して往復しました。

(絵本朝鮮通信使 東大阪市 より抜粋)


参考 ホームページ 朝鮮通信使
http://www.melma.com/mag/63/m00078763/index_bn.html
http://www.biwa.ne.jp/~kannon-m/hosyu-3.htm

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