釘づくり  一曜斎 国輝

 たたら製鉄では刀鍛冶用の玉鋼のほかに包丁鉄とずく鉄(鋳造用)を生産していました。 江戸時代の釘づくりは包丁鉄を素材として、赤熱した素材を必要な巾にタガネで切り落とし 釘の素材としました。現在のように丸い断面を持つ鉄線からの製作ではなく、角材に近い素材なのです。

 船釘やふすま釘など断面が正方形や長方形の釘がほとんどでした。唯一、丸断面を持つものは 城や寺社の瓦を止めた、大きな瓦釘くらいではないでしょうか?写真の釘は書写山円教寺(姫路市)の 塔頭(たっちゅう)十妙院修理の時に得られたものです。寺院の古文書によれば1558(永禄元)年に 建てられたものです。しかし、建築様式からみると江戸時代初期ではないかとも言われています。

 現在の金物産地のうち、三条(新潟県)、鞆(広島県)などは釘鍛冶から発展したと言われています。 姫路ではわずかに『ふすま釘』が生産されています。この絵は『衣食住之内家職幼絵解之図』によります。


『衣食住之内家職幼絵解之図』は33枚から成り、明治6年、文部省から教育用として出版された。 筆者は一曜斎国輝(二代)である。天保元年に生れ、明治7年に没、45歳であった。明治初期の開化風景、 また文部省などの需めにより多くの教育用の錦画を製作している。本図は明治ではあるが、なお江戸期の 職人の活動をそのまま伝えている。


日本の技術 産業技術を描く  吉田光邦 著 第一法規出版 1988年

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