『風俗画報』76号には次のようにあります。
「製造 本邦従来船舶に装置する錨は四脚ありて各々鈎の如く、其末尖くして之を投ずれば、
鈎自泥沙に挿入するなり、重二百斤、最も大なるものは八百斤ばかりなり、鍛煉して之を作る、
故に錨鍛冶と称ふるもの往昔船舶輻湊の地に営業せり、摂津国兵庫、備後国鞆津等最とも盛なりと云ふ、
而して其錨縄は苧麻、檜、蕨、藁等三糾(さんきゅう」の大索を用う、苧麻縄を以て最とも堅勒なりとす。
船用の語に之を加賀苧綱と云ふ)
絵は、鉄鎚を振り上げる三人が、錨の爪のところを叩いて作っているところです。
(出典・浮世絵『東都地名の内・佃島』年代不明葛飾北斎画)
江戸職人図聚 三谷 一馬 中央公論新社 2001年
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