平安時代より続く鍛冶屋 明珍

 平安時代より甲冑(かっちゅう)をつくる鍛冶として明珍家は続く、 酒井雅楽頭忠清に請われて姫路に移住、何人扶持、米何俵と古文書に残っている。
 明治維新に禄を離れた時、自立の為、火箸をつくり始めた。49代、明珍宗之の開発した商品です。
 その火箸も昭和35年ころには需要が減り、仕事場には閑古鳥が 鳴いていました。52代を継承する予定の若い理さんは苦悩しました。 開発された風鈴はその名に恥じない、すずやかな音を発します。
 明珍の姓は近衛天皇(1141年-54 年) に武具を献上したところ、 その素晴らしい音に感動された天皇の言葉に由来します。 『音響朗々、光明白にして玉の如く、類稀なる珍器なりとて 『明珍』の二字を賜ひ・・・・』





 今、明珍理さんは、弟・巧さんと、息子 宗久さんと共に武具鍛冶の 伝統を守り続けています。その技術を活かし花器や灯器の創作に 余念がありません。
「私は明珍家のただ一点の通過点やから」と言いながら。




明珍家に伝わる、『つば』つくりの古文書と残されている『つば』


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