高田屋嘉兵衛の活躍

高田屋嘉兵衛は、1769年 淡路津名郡都志本村に生まれ、1790年 兵庫津に出て船乗りになり、数年で船頭に出世した。
1795年 出羽国で1500石積の辰悦丸(しんえつまる)を建造して船持船頭となり、翌年、兵庫津の西出町(にしでまち)に
『高田屋』の看板を上げて店を開き、函館にも出店して北前船による上方との交易を始めた。同年、海流が速く複雑で、
航行の難所であったクナシリ島とエトロフ間の航路を確定して、エトロフに漁場を開くなどの開発を進めた。
1801年 に蝦夷地御用定雇船頭、(えぞちじょうやといせんどう)1806年 には蝦夷地産物売捌方を命じられて、
幕府の蝦夷地経営に深くかかわるようになった。嘉兵衛は取り扱う賞品の品質管理を厳密におこなった為、絶大な信用を得て、
またたく間に豪商となった。
そして港を埋め立てて造船所を作り、近郊で山々な作物の栽培を行うなど、商業ばかりでなく工業や農業においても
函館の発展に貢献しました。
参考資料 『豪商 高田屋嘉兵衛展』 図録
写真 右横は高田屋嘉兵衛の最初の持ち船、辰悦丸高田屋の屋号『山高』が描かれています。
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