誰が作ったの? この かぶと

かぶと
 5世紀の古墳時代の出土品に立派な冑(かぶと)と鎧(よろい)がありました。野球帽の頂点に円い輪をつけ、 ひさしには模様を刻みこんであります。現在、こんな冑を作れる職人さんが有るのだろうか?古代の鍛冶屋の 力量に感激しました。
(眉庇付冑=まびさしつきかぶと、熊本 マロ塚古墳 出土)
 倭国展の資料には甲冑の説明が以下のようになされていました。

甲冑(かっちゅう)
 古墳時代には、鉄板を組み合わせて作った、短甲(たんこう)が古墳に副葬される。鉄製の甲の出現は武器の 発達をうながし、戦いの方法も大き(変化させた。初めの頃、短甲は縦長の鉄板を組み合わせ、これを革ひもで とじ合わせたものであったが、次に方形の鉄板に変わり、さらに三角形の鉄板を多く組み合わせる形に変わった。 そして、5世紀には鉄板のつなぎかたも革ひもから鉄の鋲(びょう)でとめる方法に変わっていった。また、 この頃には、騎馬に通した挂甲(けいこう)も出現した。他方、冑(かぶと)には、先端が尖った 衝角付冑(しょうかくつきかぶと)と、前部に庇(ひさし)が付いた眉庇付冑(まびさしつきかぶと)があった。

 1993年3月、京都国立博物館 倭国展 資料より

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