開陽丸物語

 開陽丸は今から130年前にオランダで進水しました。15名の留学生を送り込み、 この船を建造依頼をした 徳川幕府は海軍の増強になみなみならぬ意欲を示していたものです。
 日本に到着したのは、発注後4年程の時間が経過した 慶応3年(1867年)でした。 その翌年、蝦夷共和国の建国 を目指す幕府海軍副総裁・榎本武陽らを乗せて、蝦夷地に向け 江戸湾を脱出しました。明治元年となったこの年、 新政府軍と旧幕府軍が衝突、戊辰戦争が 勃発しました。 榎本武陽が率いる旧幕府軍は函館五稜郭を占領後、 松前藩最後の防衛線である 江差の攻撃をもくろみ、 開陽丸で江差沖へと進みましたが、明治元年11月15日、 暴風雨のため 座礁・沈没してしまいました。進水後わずか、3年の事でした。
 開陽丸を失った榎本軍は、明治2年、函館で新政府軍に 抗戦も空しく降伏、明治を誕生させた 戊辰戦争がここに 終結しました。

(財団法人開陽丸青少年センターパンフレットによる)

弊社研修旅行のついでに北海道檜山郡江差町の上記センターにお邪魔して、江差町教育委員会の
御協力により引き上げられた開陽丸のチェーンを見る事ができました。


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