姫路城 用語集

ラブル Lovel Vol.6  関西電力姫路支店による

    あ 赤松則村   か 華灯窓     さ 酒井氏     た 大天守    み 宮本武蔵 
      赤松貞範     河合寸翁       榊原氏       台所櫓    む 武蔵野御殿
      油壁        唐破風        桜井源兵衛   ち 千鳥破風     武者隠し 
    い 池田輝政     搦手門        狭間      て 天守物語   め 迷路 
       石落し                   三国濠     と 豊臣秀吉   や 山里丸 
       井戸                   し        な 中村重遠大佐 ゆ 遊女 高尾 
      犬走り       瓦紋         昭和の大修理    長局     ら 螺旋式縄張り 
      井郭櫓    く 曲輪         白漆喰総塗籠  に 23円50銭     
    う 埋門             黒田官兵衛      心柱      の 野面積     
      姥ケ石    け 化粧櫓     す 筋交柱     は 白鷺城     
    お お菊井戸         懸魚         隅櫓      ひ 菱の門      
      扇の勾配         好古園     せ 世界文化遺産    姫山原始林     
      大手門    こ 高麗門        勢隠し       備前丸     
      帯郭櫓       国宝と重要文化財  千姫      ふ 不死鳥    
      折廻櫓       腰曲輪櫓             

赤松則村 (あかまつのりむら)
  播磨の豪族。元弘3年(1333)赤穂郡赤松の庄苔縄の本拠から軍を進める途中、姫山の丘に砦を構え、一族の小寺頼季に守らせた。この砦が姫路城のはじまりとされている。
  赤松貞範 (あかまつさだのり)
  最初の城主。建武中興の戦功で美作守護に任ぜられ、姫山の丘に居城を築き、播磨に勢威をふるった。則村の次男。
  油壁 (あぶらかべ)
  「ほ」の門をくぐり右側。法隆寺にもある築地塀の一種。砂、粘土モチ米の汁で練り固めたもので、頑丈なことは天下一。
池田輝政 (いけだてるまさ)
  関ヶ原の戦功で慶長5年(1600)播磨52万石の城主に。豊かな財力と約9年の歳月をかけ、現在の大城郭を築き、西国の将軍とうたわれた。妻の督姫(とくひめ)は徳川家康の次女。
  石落し (いしおとし)
  大天守、小天守などの主要な壁に必ず見られる末広がりの出っ張った部分。内部から真下を監視でき敵を防ぐ。
  井戸 (いど)
  大切な飲料水設備。昔は30いくつもあったというが現在は14。かわりダネはお菊井戸、腹切り丸の洗い井戸など。
  犬走り (いぬはしり)
  西の丸長局の内側の細い通路。千姫につかえていた侍女たちが召し使いたちに使い走りをさせた専用の道。
  井郭櫓 (いのくるわやぐら)
  搦め手口を固めるために置かれた。流しの設備があり屋内には井戸つるべも。
埋門 (うずみもん)
  土塀を設けた石垣に通路部分を開けたもの。いざというときに内側を土砂で埋め、敵軍の侵入を防ぎ止める。「ほ」の門、水の門、四門
  姥ケ石 (うばがいし)
  秀吉の築城当時、石垣の石集めの大変さを見た、城下に住む焼き餅屋の老婆が、暮らしの必需品石臼(乾小天守入り口の石垣にある)を献上したことが評判となり次々に石は集まった。
お菊井戸 (おきくいど)
  山里丸の中央、直径3メートル、深さ20メートルの井戸。主家横領をスパイした女中のお菊をとがめ「家宝の皿が1枚足りない」と責め殺して井戸に投げ込んでしまう。悲しい声が井戸から聞こえるという「播州皿屋敷」の伝説にちなむ井戸。
  扇の勾配 (おおぎのこうばい)
  石垣の角度を扇を開いた形にソリをつけることで、より高く積み、強度を高めるとともに、攻め手が登るのを防ぐ効果をもつ石積み形式。
  大手門 (おおてもん)
  姫路城の表口。昔は桜門、桐一門、二門があり厳重な枡型門だったが、明治時代、兵営になったとき取り払われた。昭和12年に新築、この門だけは昭和生まれ。
  帯郭櫓  (おびくるわやぐら)
  天守東側の搦め手を防衛する一角、 暗いムードが漂い、城外を監視する武者台が検視役人所を連想させたのか、いつのころから腹切になった。 丸と呼ばれるよう。
  折廻櫓 (おれまわりやぐら)
  大天守の高石垣と設備をつなぐ櫓。北側1階が石垣2階の窓には連子式の鉄線格子がはめこまれ外から内部が見えないようになっている。
華灯窓 (かとうまど)
  優美さを添える寺院建築から取り入れた装飾窓。西小天守、乾小天守、菱の門などにみられる。
  河合寸翁 (かわいすんのう)
  姫路藩主、酒井家4代30年にわたって家老をつとめる。借財73万両といわれた藩財政を建て直して改革の中心人物。また、郊外に私塾仁寿山校を開校、頼山陽などを招き、幕末の姫路藩をリードする人材を育てた。
  唐破風 (からはふう)
  アーム型のなだらかな曲線状の破風。大天守では東西南北各階6ヵ所、千鳥格子とともに重要な外装のアクセントに。特に二層南面の唐破風は、日本古建築中最大の規模といわれている。
  搦手門 (からめてもん)
  表口の大手に対して裏口を搦手。天守閣東、姫山公園口「と」の四門。石段の坂道が曲折して「と」のニ門、一門へと続く。
   (かわや)
  籠城に備えて大天守地階と「は」の渡櫓のの地階に1ヵ所ずつ。トイレがあるのは珍しく、内部は三室の区切られ、換気の窓もある。
   (かわら)
  瓦は約75,500枚昭和の大修理の改良により500トンは軽くなったといわれる。葺き方は水蒸気が逃げる空間を考えた筋置き方法また台風に吹き飛ばされたり、隙間に入る雨を防ぐための目地漆喰が施してある。
  瓦紋 (かわらもん)
  歴代城主の紋をあしらった瓦が各所で見られる。羽柴秀吉の五三の桐、池田氏の揚羽蝶、本多氏の三ツ葉立葵、松平氏の沢潟(おもだか)、榊原氏の源氏車…珍しいものでは黒田官兵衛の十字架紋も。
曲輪 (くるわ)
  昔はJR姫路駅あたりに外濠があり、そこから内が外曲輪で、組屋敷や町家が並ぶ城下町。中濠の跡がある国道2号線から内が中曲輪で、武家屋敷が主体。そして大手門をくぐって内曲輪
  黒田官兵衛 (くろだかんべえ)
  黒田氏三代目の城主。早くから信長の天下統一を予見、織田軍の武将羽柴秀吉の中国平定の際には姫路城を提供し、参謀として活躍。司馬遼太郎の「播磨灘物語の主人公として有名。
化粧櫓 (けしょうやぐら)
  千姫が本多家に嫁いだときの化粧料10万石で建てた二層櫓。毎朝三の丸の武蔵野御殿から西の丸へ出て、長局から男山八幡宮を拝み男児出産を祈ったという。化粧櫓はそのときの休憩室
  懸魚 (げきょ)
  天守、小天守の千鳥、唐破風の中央に下がる飾り。三ツ花懸魚、梅鉢懸魚など。
  好古園 (こうこえん)
  西御屋敷跡を古図に基づき、日本庭園として復元。姫路城の新名所、姫路藩校の好古堂にちなんで名付けられた。
高麗門 (こうらいもん)
  扉を開けたとき雨天でも濡れないように小屋根がついた構造。「い」「ろ」「へ」「と」の二、四、「り」など、饅頭金物をつけた頑丈な造りで脇戸つきと潜り戸つきがある。
  国宝と重要文化財 (こくほう)
  国宝は大天守、小天守、渡櫓など8棟、国指定の重要文化財は74棟。また姫路城跡(187ヘクタール)は特別史跡に指定されてている。
  腰曲輪櫓 (こしくるわやぐら)
  天守閣の北側「イ」から「ヘ」まで櫓と渡櫓がゆるくカーブしながら連なっている。中央には塩櫓。籠城に備えて米や塩の食糧を貯蔵していた倉庫も。
酒井氏 (さかいし)
  姫路藩最後の藩主。寛延2年(1749)前橋から入封した忠恭(ただずみ)にはじまり10代120年間、徳川の新藩として治績をあげた。江戸琳派の画家酒井抱一(ほういつ)は茶道、俳句、書画など風雅な素養のあった2代目忠似(たださね)の弟。
  榊原氏 (さかきばらし)
  第一次榊原時代(1649〜67)は松平忠次、新田開発、治水につとめた名君。第二次(1704〜48)は忠次の孫の政房、政祐、政岑の4代。吉原の遊女を身請けし風流を好んだが、27歳で隠居謹慎になった政岑は、ゆかた祭りの創始者として知られている。
  桜井源兵衛 (さくらいげんべえ)
  池田輝政が5層の天守閣を築いたときの大工棟梁。大天守が少し傾いている、と妻から指摘、責任を感じて天守閣から飛び降り自殺を図ったというがこれも伝説。
  狭間 (さま)
  白壁に見られる丸や三角の”のぞき穴”内部からは外が見やすく鉄砲が打ちやすいのに対し、外からは弾丸が飛び込みにくいように工夫が。
  三国濠 (さんごくぼり)
  31メートル四方の濠。菱の門からの攻めに対し、「い」「ぬ」の両門からはさみ撃ちしここへ追うという構え。池田輝政が播磨、備前、淡路の領民に掘らせたのが名前の由来。しのびがえし石垣と建物の境目に剣ややりを並べて、これ以上進めなくするという仕組み。
 (しゃち)
  水を吹くという海獣がモデルの鯱は防火のまじないと装飾をかね、天守などに十一個。最上層の鯱は地元の瓦師、小林平一氏の製作で高さニメートル近くもある。
  昭和の大修理
  昭和十年から本格的な工事を開始。天守群など中核部の解体修理・復元は三十一年から八年がかり、三十九年六月に完成した。再用できる木材、石材などはできる限り使われたが、屋根瓦はほとんど取りかえられた。これ以前のも寛永三年(一六二六)以来、約六十回もの補修が行われている。
  白漆喰総塗籠 (しろしっくいそうぬりごめ)
  木地に縄巻、下げ縄をして荒打ち、むら直し、砂ずり、中塗り、そして漆喰を塗り重ねる左官工法。壁、土塀、軒裏などすべてこの技法で、防火、銃弾に対する構えが厳重に。上塗りのしろ漆喰は、のりと川砂を混合して防水の工夫が施してある。
  心柱 (しんばしら)
  大天守中央部を東西二本の心柱が貫通。東心柱は穴栗部産の杉、西心柱は桧だが、昭和大修理の運搬中の折れてしまったため、根元の方は木 国有林、上方は神崎郡笠形神社の神木を二本継いである。
筋交柱 (すじかいばしら)
  大天守の重量約5000トンを心柱と189本の柱で支えているが、負担が大きくなる下層の四隅の柱には筋交柱を入れ重圧を分散。
  隅櫓 (すみやぐら)
  曲輪の隅に設けられた櫓、監視を防御を兼ね、ほとんどが二層櫓で武者窓、狭間、石落としが備わっている。
世界文化遺産 (せかいぶんかいさん)
  ユネスコの世界文化遺産の平成5年12月日本で初めて登録。人類が永久に保存していかなければならない自然や文化財を、地球規模で守っていこうというもので、加盟国は132、文化遺産はベルサイユ宮殿、万里の長城、ピラミッドなど270件。芸術、文化、建築学各々の厳しい選定条件をクリア、特に周辺の文化施設が整備されまちと素晴らしい調和を保っていることが大きな要素となった。
  勢隠し (せがくし)
  秘密兵器の隠し場所。姫山公園の北勢隠門と南勢隠門が残っている。
  千姫 (せんひめ)
  徳川家康の孫娘。大恋愛の末、本多忠刻の再嫁。長男幸千代、夫の死…十年足らずで姫路城をあとに江戸へ。
大天守 (だいてんしゅ)
  外観は5層、内部は地下1階、地上6階、入母屋と破風をバランスよく配置した華麗な姿を誇る。建物の高さは31.5、石垣の高さは14.8、姫山の標高45.6メートル、合計すると海抜92メートルに。
  台所櫓
  大天守中庭にある櫓。いざ籠城、に備えて一階が調理場、ニ階が食堂。大天守地階、「ロ」の渡り櫓、中庭への三つの出入り口がある。
千鳥破風 (ちどりはふう)
  屋根の三角破風。大千鳥は二層東西の屋根から4階の唐破風に迫る大きなもので片屋根の流れは十メートル。さらに南北両面の三層左右と四層中央に三つの千鳥が配置され、大天守上層部に荘厳さをプラスしている。
天守物語
  姫路城を舞台に、妖艶な世界が繰り広げられる泉鏡花の戯曲。最近では、玉三郎が演じて話題になった。
豊臣秀吉 (とよとみひでよし)
  天正五年(1577)中国平定で播磨に出兵、黒田官兵衛から譲り受けた姫路城に、三層の天守を築いた。また城下町の繁栄、商業の振興にも心を配り、城下町としての体裁をほぼ整えた。
中村重遠大佐 (なかむらしげとうたいさ)
  全国の城が取り壊しや風雨にさらされていたとき、当時の陸軍省中村大佐が文化財的価値を惜しみ、陸軍大臣山県有朋にかけあい、国費による修理保存へと導いた。菱の門に顕彰碑がある。高知県、宿毛市の出身。
  長局 (ながつぼね)
  西の丸の「を」の櫓から化粧櫓までの長い廊下伝いに、二十ほどの部屋が仕切られている。無骨で防備万全のつくりだが、千姫の待女たちが住んでいた女の館。
23円50銭 (にじゅうさんえん)
  廃城令で姫路城は明治八年ごろ競売にかけられ、米田町の神戸清一郎という人が23円50銭で落札。しかし解体費用があまりにも莫大だったため断念した。
野面積 (のづらづみ)
  野面は加工していない石の肌のこと。姫路城内ほとんどの石垣が野面を組んだ野面積、重量のかかる角が算木数。一見粗雑だが内部までしっかり組まれている。
白鷺城 (はくろじょう)
  白漆喰総塗籠造の輝くような白い壁と、大天守、3つの小天守の並んだ姿を白鷺の飛び立つ様子にたとえたといわれる。正式には「はくろじょう」と呼ぶ。
菱の門 (ひしのもん)
  三の丸から二の丸へ至る大手口を固める姫路城最大の櫓門。2本の柱は根巻、饅頭金物で武装、扉の八双金具、化粧鋲はど桃山建築の華麗な風格が伝わる。
  姫山原始林 (ひめやまげんしりん)
  城の北西面に広がる森。約150種類もの植物が生い茂る。森の構成半分以上を占めるタラヨウは葉が厚く燃えにくい。防火の為に植えたらしい。
  備前丸 (びぜんまる)
  天守閣南の広場、池田輝正の別館のあったところ。次男の忠継は備前28万石を領したがまだ幼い頃は母督姫とここに住んでいた。明治15年焼失。
不死鳥 (ふしちょう)
  防御に万全を尽くした造りでありながら、城の戦闘は一度も行われなかった。さらに第2次世界大戦で市街地の大半が焼けたときも、奇跡的に難を免れた幸運な城。不戦、不燃の城は平和のシンボル…
宮本武蔵 (みやもとむさし)
  天守閣に夜な夜な出るという妖怪を、のちの二刀流の達人武蔵が最上階の形部大神の前で退治したという伝説。
武蔵野御殿 (むさしのごてん)
  三の丸広場西端にあった本多忠時刻と千姫夫妻が住んでいた屋敷伏見城の一部を移築した豪邸で、壁に色鮮やかなススキが描かれていたという。
  武者隠し (むしゃかくし)
  天守閣3階の4隅、千鳥破風の屋根裏を利用した部屋。ここに城兵をしのばせ警備にあたらせていた。
迷路 (めいろ)
  城内も通路は右に左に行き止まりだったり、Uターンさせられたり。天守閣は目の前だがなかなか近づけない複雑な設計。城郭建築史上最盛期ならではの縄張り。
山里丸 (やまざとまる)
  他城でもみられる庭園、山水、茶室を設けた一画。お菊井戸のあるこの広場がかつては姫路城の庭園だった。
遊女 高尾 (ゆうじょ たかお)
  榊原三代目政岑に身請けされた吉原三浦屋の遊女。西御屋敷で寵愛を受けるが、隠居謹慎になった政岑とともに越後高田へ。しかし政岑は29歳で他界、責任を感じた高尾は尼となり弔ったという。
螺旋式縄張り (らせんしきなわばり)
  内濠、中濠、外濠の何重もの螺旋状の濠によって囲まれた複雑巧妙な設計。濠の総延長は11.5km、外濠で囲まれた城下町の範囲は約57万坪という広大なもの。連立式天守閣は大天守をかばうように東、西、乾(北西)の3つの小天守が渡櫓で結ばれ安定した横線の広がりを見せている。この連立式天守が完全な形で残っているのは姫路城だけである。

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