仲田武史くん告別式

 平成14年9月4日(水)、21回生の仲田武史くんが、亡くなり、9月7日(土)、9月8日(日)と通夜ならびに告別式が、シティーホール手柄山ベルコ会館にて行われました。両日とも、21回生も大勢参列していただきました。

 仲田くんは、広島大学卒業後、勤務医を経て、姫路市今宿の自宅に、仲田歯科医院を開業し、1男2女をもうけ、スポーツ好きで、昨今は、草野球チームにも所属し、今が盛りという時の事故でした。

 これで、常陰くんに続いて、2人の同級生を亡くしてしまいました。我々、21回生は、本年、厄年を迎えます。心も、身体も、変わり目を迎えます。みなさんも、くれぐれも御自愛下さい。

 仲田くんの御冥福をお祈りするとともに、残された御家族が、幸せになられることをお祈りいたします。

海に車転落、歯科医が死亡

 四日午後八時二十分ごろ、姫路市飾磨区細江の姫路港で、乗用車が岸壁から 転落。二時間四十分後に引き上げられたが、車内から、所有車の同市今宿、歯科医師仲田武史さん(四一)が遺体で見つかった。

 飾磨署によると、死因は水死。停車中に急発進でバックし、海に落ちるところが目撃されており、同署は事故か自殺とみている。(9月5日、神戸新聞より)


受付をするハセである。

 さて、通夜と告別式の様子を、レポートしよう。こんな場で申し訳ないが、多少、笑えることもあるので、ちょっと不謹慎かもしれないが、笑いを踏まえて書くけれども、お許しねがいたい。まあ陽気だったタケのこと、許してくれるだろう。 

 また、通夜の際は、ちょっと不謹慎かなと思ったので、カメラを持っていかなかった。でも、「おまえが撮らんで、だれが撮るっ!」と言われたので、告別式だけカメラを持っていった。遺影も、御家族の許可をいただいて撮影した。という訳で、写真は、すべて告別式のものだ。

 青枠の写真は、クリックすると大きくなるので、いる人はダウンロードしていただいてもかまわない。


左から、北野、名村、山田、幹部。


カメと薄キンである。


左から幹部、白キン、岸本である。

通夜

 ここシティーホール手柄山ベルコ会館というのは、結構、姫路で葬儀に参列している私でも、来た事がない。マイナーな葬儀場なのだ。ここは、姫路球場の南側にあるのだが、あのへんに駐車場もなかったような気がする。私は、雅光に乗っけてきてもらったのだが、姫路球場あたりから、喪服の人が歩いている。嫌な予感だ。

 ベルコ会館に入ると、「げっ!狭い」である。タケは、まだ41歳である。我々の世代、まだ友人は生きているのである。ましてや、タケは、地元の名家であり、友人も多いはず。ここでは、えらいことになるのでは…。(案の定、人が溢れかえることとなる。司法解剖が、長引いたのと、友引あけで、どこもいっぱいだったらしい。)


河野章と山名である。

先頭から、ハセ、斎木、河野、一人飛ばして、桜井、白キンである。
 受付は、奥から、町内関係、歯科医師会、ひとつ予備のテーブルに、淳心OB関係という受付ができていた。受付には、白キン中川の朋ちゃん、なぜか袈裟に坊主頭の久木がいてくれた。受付の設営、同窓生は、香典返しはなしとか、香典の額とか、細かい所は、山田と彼等がやってくれたのだろう。感謝である。ちなみに、花は対で淳心21回生の名前で、同窓会の残金から捻出した。あまりあって欲しくないのだが、「今後、こういうこともあるだろう。同級生でなくても、先生とか…」、と話していたら、東田さんが来た。(今、副校長である。HP参照)いつも間の悪い人である。この人も元気そうだが、心臓にペースメーカーが入っている。周りでガンガン携帯電話をかけると死んでしまう。

右から、寄高、守光、白キン、岸本である。

 受付付近には、よく見ると、懐かしい顔があった。カメハセ、そして斎木は、いままでに見た事がないような、神妙な面持ちで立っていた。ええ、おっさんである。おお〜、岸本寄高、久しぶりというか卒業以来かも…。しかし、あんまり変っていない。そう言えばテニス部仲間か…。よく見ると名村のすがたもある。名村も、卒業以来かも…。ということは、あの爺さんは、濱崎先生?テニス部といえば、あと幹部と中村、ああ〜常陰…。テニス部は、2人目か…

 高濱濱中は姫路におるから、まあええとしてああ守光さん…。守光は、マラソンとかが趣味という、とても不健全な人になって、痩せてしまっているので、良く見ないと誰だかよくわからない。

 あとは、石井?、伊藤薄木岡田?、野間なんかの医者グループ、お〜、行方不明と言われていた磯部松原(和)高橋(裕)柳本勝橋本(泰)澤田松本。遅れて町田がやってきた。(抜けてたら失礼!)

 通夜も終わって、みんなでウダウダしてると、茂渡が、袈裟姿で、例のごとく、面倒臭そうに、がに股でやってきて、面倒臭そうに、焼香して、口を尖らせて、面倒臭そうに帰っていった。みんな一言、「あ〜あ、シゲは、やっぱりシゲや〜。」「全然、変っとらん。」一種の癒し系かもしれない。誰かの通夜をすましたあとであろう。御苦労さまである。そういえば、久木も、袈裟姿で、坊主と化していた。流行ってるのか?


左から斎木、寄高、カメ、河野である。

  しばらくウダウダしていたのだが、しかたがないので場所を変え、残った連中で、居酒屋に行った。メンバーは、薄キン、カメ、ハセ、斎木、濱中、名村、松原、松本、澤田、高濱、白キン、私(なんか一人足らんような…)

 通夜の最中も含めて、色々話も出たのだけど、「同窓会せえや〜っ!」。これは、おれも悪くて、久木や中川なんかに、嫌な思いさせたみたいで(わざとちゃうで…)、仲田のこともあるから。来年あたまには、しよう。斎木は、「1月2日っ」「1月2日っ」と、譫言のように言うので、そう言う予定で動こう。実行委員は、久木なんかにしてもらうのがいいかな。あと、同窓会費も、1年で1000円くらいを集めはじめた方がいいな。通信費慶弔費メーリングリストの維持費が必要になるから…


左から、岸本、守光、白キンである

告別式

 告別式は、午後1時から行われた。雲がぶあつい。広島大でも、同級生である守光と実質的な同窓生の葬儀委員長である山田が、受付を勤めてくれている。通夜に引き続いて、岸本、名村、寄高のテニス部勢に、幹部が合流。カメ、ハセ、薄キン、白キンなんかも、来てくれている。???外務省の河野?フランス大使館にいるにおでは?なるほど、今は、日本勤務なので、日本にいるときぐらいと来てくれた。一連の不祥事のせいか髪の毛が、真っ白である。

 あと山名である。山名は、松本とともに仲田とは小学校の同級生である。「山名!泣け!」言ってみたが、泣かなかった。大人になった。その他には、西多日野桜井なんかの顔も見える。坂田先生も遅れて、みえられた。あとは、ん?目があった?だれ?知り合い?カメが話しかけている。横から河野さん、「だれ?」後ろから山名、「だれ?」わからない。本当にわからないのである。そ〜っと芳名帳を覗くと「西野」「西野?」「に〜ぱんっ!」うそである。ただの小太りのおっさんである。守光、木村なみに、昔の面影がないのである。変わった人、ベスト3が出揃った感である。
 告別式は、通夜よりは人数が少なく、本当に身内という感じである。弔電が読まれる。「淳心学院21回生、福本浩樹」「淳心学院21回生、久本真史」福本さんは、東京から、久本にいたっては、シンシナティーからである。感謝である。広島大の友人代表で、守光が、淳心学院同級生代表で、山田が、焼香に呼ばれる。その後、各人、焼香を終える。告別式も終わり、親族代表で、タケの叔父さんが、お礼の言葉を述べる。このあとは、親族だけで、最後のお別れなのだが、淳心の同級生は、特別に、お棺にお花を手向け、最後のお別れをしてあげて下さいと呼ばれる。神妙な面持ちは、主にその時の写真である。そして、棺を閉じたころから、雨が降り始めた。別れの雨である。


だれかわかるだろうか?


お棺を見送る

 位牌を持つ奥さん、お母さんもさることながら、残された中学生のお姉ちゃん、小学校5、6年生の次女、そして3、4年生だろうか男の子、特に、末っ子は、タケに生き写しで、なんとも言えない気持ちである。
 われわれの多くは、今年、本厄である。迷信といえば、それまでだが、心も、身体も、今までとは異なり、老いに向かって、変化していく時期なのかもしれない。もう一度、自分のためにも、家族のためにも、心も、身体も、自分を見つめなおし、精一杯、生きるのが、タケへの供養になるのではないだろうか。
 今回、本当に多くの同級生に見送られタケも喜んでると思います。でも、今度は、笑って、みんなで集まりたいものです。
 こんどの同窓会には、タケの供養もかねて、ぜひ、参加して下さいね。

芳賀 一也