もう一つのアナセ   (2月号)

 『播磨風土記』の世界は播磨を、まず伊和大神が占拠し、それに天日槍命が挑戦する。 こんな構図ですが、伊和大神の播磨占領もそう簡単でなかったのでしょう。 『風土記』の、安師の里(宍粟郡安富町)の記事がそう思わせています。 そこには安師姫神がいて、そのために川の名も安師川と呼んでいました。 揖保川支流、林田川の上流、安志姫神社のことです。
 伊和大神は安師姫神を見初めて、ぜひ結婚してほしいと申し込みますが、 姫神はどうしても聞き入れようとしません。袖にされた大神はひどく怒って 石を積んで川の源を塞ぎ、水が北の御方(三方)の里へ流れるようしてしまいました。 この川沿いには桧、杉、それに葛が育っいるが川の水はごく少ない。 姫神に振られたといって里の、命の水を断つなど大神らしくない。 そう思いますが佐用郡では妻の佐用都姫神に稲づくりの呪術で敗れて大神はその地の支配を あきらめて立ち去っています。地元の巫女との結婚に成功するかどうかは その地を占領できるかできないかの公的な出来事に通じていました。 だからこの話もただの私的な結婚話ではなくて、安師の里が大神の占領に強く 抵抗したことをうかがわせています。
 安富町関の名勝鹿ケ壷へあと15のメートルのあたり、川幅はかなり広いが 風土記のいう通り水がなくてカラカラ。小石だらけの川床が大気にさらされています。 ところがそこから南へやや下って水尾神社まで来ると、どこから湧き出したのかと 思うほどの水量が川にあります、そのあたり、岩のような大石がごろごろして道路へまで せり上がるのこんな光景が伊和大神の失恋の怒りをどんどんふくらませ、リアルに伝えてきたのでしょう。
 話題の安師姫はいま安富町三森の安志姫神社に安らいでいます。
参考図書

播磨風土記を歩く  寺林 峻  神戸新聞総合出版センター  1998年


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