名古山遺跡   (8月号)

 永年住みなれた、姫路市飾磨区阿成を離れ、姫路市四郷町東阿保に転居しました。 少し落ち着いたので、近所を歩いて周ると、麻生山・宮山古墳・見野古墳などなど、 新しい住居も古代の鍛冶屋にゆかりのある場所でした。そこで、鍛冶屋の目から見た、 郷土の歴史を数回のシリーズで書き綴ります。まず始めに銅鐸の話から。

 弥生時代には、金属の道具も使われ始めました。外国では、銅にすずを混ぜて 作る青銅器の時代が長く続いて、その後に鉄器の時代になるのですが、わが国には、 青銅器と鉄器とがほとんど同じころに伝わってきました。
 姫路市の名古山、住居跡から銅鐸の、石の鋳型の一部が1960年(昭和35年)に 出土しました。この鋳型で作ると高さが25センチメートルほどの銅鐸ができる そうです。これは日本で最初に発見された石の鋳型で、たいへん貴重な遺物です。 ところが、1980年(昭和55年)4月、今宿から、道路工事中に、多数の弥生式土器の 破片とともに、また銅鐸の、石の鋳型の一部が発見されました。これは名古山の 鋳型と同じ年代で、弥生時代中期の後半(紀元1〜2世紀)のものであろうとされています。
 このように姫路では、銅鐸の鋳型が近距離で二つも発見され、銅鐸を作っていたと 思われますが、今までに銅鐸は一つも発見されていないのです。
 また、名古山の住居跡から、鉄の破片が2個出土しました。くわの一部かと思われ ますが、はっきりしません。姫路の地には古代から銅を鋳る種族や鉄をあつかう 人々など、色々な技術集団が住んでいたのです。

参考図書
郷土史 ひめじ  姫路市教育委員会
海の考古学    神戸市立博物館   2000年4月
青銅の神の足跡  谷川健一 小学館  1995年


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