安宅船

 16世紀末より17世紀、多くの日本人が海外に渡航しました。貿易は朱印船貿易が行われ、 東南アジアの港には日本人街も出来るほどにぎわいました。山田長政が(シャム)タイへ密航 したのも1661年ころです。
 徳川幕府は1633年から1635年にかけて、日本人の海外渡航禁止や帰国の禁止を行い、 キリシタン弾圧のため鎖国政策を強化します。特に島原の乱の後は長崎の出島のみを開港地としました。

 造船においては、戦国大名が所有していた軍艦を破棄し、寛永15年(1638)5月2日に法令を出して、 荷船以外の大船建造を禁止し、厳重な造船制限を行い。以降、わが国の造船技術は停滞しました。そのため、 幕府の安宅船が最も大きな船となります。
 江戸時代末期、黒船の到来や外国の圧迫により、大船の必要を認めて、嘉永6年(1853) 9月15日に実にこ115年ぶりで禁止令を解除ました。


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