TEL  079 - 234 - 1515   FAX  079 - 234 - 1519


錨鍛冶師  葛飾北斎

『和漢船用集』に、次のようにあります。
 「古は石をくくりて用しと見へたり。今石を用る者木碇と云、まかれる枝の木を以て一角叉(シャ)を作り、 是に石をくくり付て碇とするなり。左右に角叉有を唐人碇と呼。三才図会日、北洋可施鉄錨、南洋水深惟可下木碇と見へたり。 金錨(カナイカリ) 船上鉄錨曰錨、即今船首尾四角叉用鉄索貫之、投水中使船不動揺者。
看家錨(イチハンイカリ) 天工開物曰、凡鉄錨所以沈水繋舟、一糧船計用五六錨最雄者曰、 重五百斤内外其余頭用二枝梢用二枝と見へたり。本邦千石積の舟に用る処、鉄碇八頭、 其一番碇と云者重八拾貫目余也、是則五百斤に当れり。其大船に至ては重百貫目余におよ へり。」とあり、『風俗画報』76号には次のようにあります。

「製造 本邦従来船舶に装置する錨は四脚ありて各々鈎の如く、其末尖くして之を投ずれば、 鈎自泥沙に挿入するなり、重二百斤、最も大なるものは八百斤ばかりなり、鍛煉して之を作る、
故に錨鍛冶と称ふるもの往昔船舶輻湊の地に営業せり、摂津国兵庫、備後国鞆津等最とも盛なりと云ふ、
而して其錨縄は苧麻、檜、蕨、藁等三糾(さんきゅう」の大索を用う、苧麻縄を以て最とも堅靭なりとす。 船用の語に之を加賀苧綱と云ふ) 絵は、鉄鎚を振り上げる三人が、錨の爪のところを叩いて作っているところです。

(出典・浮世絵『東都地名の内・佃島』年代不明葛飾北斎画)

江戸職人図聚  三谷 一馬  中央公論新社 2001年