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鉄道連絡船 洞爺丸(昭和29年 1954年)

 日本で初めて鉄道連絡船が就航したのは、明治15年 (1988年) 琵琶湖上を走った『大湖丸』でした。
以来100余年、青函トンネルが開通した、昭和63年 (1988年) まで活躍しました。右の絵は本州・四国を結んだ『讃岐丸』です。
 最大の事故は『洞爺丸』でタイタニック号につぐ千人余の犠牲者を出しました。 台風と遭遇した船は錨を降ろし碇泊しようとしましたが
秒速57mもの風にあおられ走錨し、函館港外の七重浜に転覆しました。
 事故の原因の一つに錨走したことが上げられます。事故の後、錨の把駐力(錨が海底をかく力)の研究がなされ、
JNR型という錨が開発されました。
左下の図  JNR型錨

走錨 : 船舶を固定するため、鎖をつないで錨を海に入れます。 このことを投錨(とうびょう)と言いますが、
      錨を入れても錨を引っ張ったまま船が動くこと。

   

 後日談(2003.08.06)、錨に詳しい中村宗次郎氏(中村技研工業、東京都)より上記内容につき電話をいただきました。
その内容は、JNR型錨は純粋に日本で開発されたものではなく、アメリカの錨とチェーンのメーカーバルト(BALDT)社が
1905年以来発売していた特許品の一部を修正したものである。ということでしたので、左にその図を追加しました。

参考資料 柳原良平 船の本  至誠堂 1968年
参考資料 海百講 中谷 三男 舵   1996年
資料提供 尾道錨製造株式会社