韓国の鍛冶屋(伽耶=かやの時代)
高句麗の古墳壁画の中には、甲冑で武装し馬にも馬甲・馬冑を着けた、鎧騎馬武士の絵が多く見られる。 韓半島の南部地方に散在する伽耶古墳からも、このような甲冑や馬甲冑の実物が陸続と発掘され調査されている。 この模型は、最近伽耶地域(成安)で調査した古墳の一つから出土した馬甲一式と、釜山福泉洞10・11号墳の 副槨で出土した馬甲をもとにして製作したものである。伽耶の鎧騎馬武士像は、甲冑、かぶと、経甲などで 完全武装した武士が、長い槍を手に、馬甲・馬冑・旗竿を装着した馬に乗った姿である。 【国立民俗博物館 展示案内より】 日本の古墳からも非常によく似た馬甲・馬冑が出土している。(和歌山県 大谷古墳5世紀後半) 戦乱を逃れた伽耶の職人が渡来して来たのか、そのものが舶載されてきたのか? |
伽耶は、新羅三代儒理王19年(AD.42)から新羅真興王23年(562)に滅びるまで、韓半島南端の慶尚南・北道の西部地域に 存在した幾つかの国の総称であるが、そのうち金海の伽耶国や高霊の大伽耶国を通常称する言葉でもある。 伽耶は文献に「伽耶、伽椰」をはじめ、「狗邪、拘邪」、「加羅、加良、賀洛」など色々な名称で記録されている。 参考図書 国立民俗博物館 展示案内 大韓民国観光公社発行 韓国紹介冊子より転載 http://inoues.net/korea/korea_kimemus.html http://inoues.net/korea/korea_fukusendo.html |
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