姫路のくさりづくり  3

 昭和30年代まで鍛接の鎖が主力でした。鎖職人にとって金床は大事な道具で、
痛んだ部分にはやすり掛けし平らな面を保つように使いましたが、磨り減ってしまったり 大きく欠けたりすると修理できませんでした。一年に一度、大阪から金床専門の鍛冶屋が来て、 市川の河原に大きなふいごを備え付け、屈強の男達が金床を修理し、川に放り込みました。 これを『金床再掛』と言ったそうです。

仙台の金属博物館 学芸員 野崎 準 さま より下記のような書き込みを頂きましたのでここにアップしました。

鉄床の焼き入れ

 関西ではどうやるのか分かりませんが、東日本の鍛冶屋さんは独立して店を持つ時や金床が破損した時は 仲間が河原に四尺のフイゴを持ち出して古軟鉄で金床の形を作り、上面に鋼板を鍛接して、秘伝の焼刃土を塗り、 数人がかりで持ち上げる巨大な鉄箸でつかみ川に投入して焼きを入れたと聞きました。
 焼きが入っていないというのは買った人がこれをやるという前提なのではないかと思いました。全体に焼きが 入ってしまうというのは本当は鋳鋼かも知れません。そう言う鉄床もありました。
地面に穴を掘り根石と木の切り株を埋め込んだ上にセットして使うのは昔のと同じでしたが。

写真説明

昭和30年代 金床再掛の図   衣川 信良 作

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