わたしのこと

はが ゆき

双子座 B型

好きな色 ブルー

好きな踊り パ・キータ

好きな食べ物 シフォンケーキ

 

わたしのバレエ歴

わたしが通っていた幼稚園にはとても広いお遊技室があり、バレエの先生が教えにきてました。幼稚園の保育とは関係なかったのですが、たまに居残りをした時、バレエの練習が始まり、ちらっと覗いたお遊技室の中はまるで別世界で「わたしもやってみたいな」とずっと思ってました。

幼稚園が家から遠かったし、妹がまだ小さかったのでその時は我慢してたんです。でも小学校に入り、テレビドラマ「赤い靴」が始まりました。もう我慢できなくなり、親にバレエを習わせて!と懇願しました。ちょうど学校のお友だちがバレエを習っていたのでその教室に見学に行ったのですが、そこは柔軟体操中心の『モダンバレエ教室』…。「ちがう〜!幼稚園でやってたバレエ〜!」。幼稚園のバレエ教室に見学に行き、すぐに入会を決め、バレエ用品を注文してもらい、わたしのバレエ人生が始まったのです。

鈴木瀧夫先生(故人)との出会いもこうして始まりました。幼いわたしは先生がどんなにすごい方か知らずに、ただ恐い先生だと思ってました。チャイコフスキー記念東京バレエ団の教師でありチャイコフスキー記念京都バレエ団を主宰してらした先生は一週間のうち東京と京都、半分づつの生活をしてらっしゃいました。レッスンはとても厳しく、特に発表会の練習に入ると、毎回泣いて帰ったのを覚えています。泣かないで帰った日がなかったほど、それはそれは厳しいレッスンでした。特に、私は、ひょろっとして背が高く(なぜか目立つ体型?顔?だったのでしょう。今でもその名残りがありますよね)初めての発表会でまだ小3なのに中学生のグループに入れられ、緊張の連続でした。コッぺリアのチャルダッシュ…。今では大好きな踊りのひとつですが、一生忘れられない踊りでもあります。発表会ではバレエコンサートと楽しいストーリーのある「子どものためのバレエ」がありました。観る側にとってはとても楽しいバレエだったと思いますが、先生はめちゃくちゃ高度なテクニックを要求し、時にはアクロバットかと思う振りをつけて下さり、歯をくいしばって練習する私達に「そんな顔で踊ってたらお客さんが帰っちゃうぞ!」が口ぐせでした。以来、舞台にたつ時はいつも先生の声を思い出し、お客様に観ていただく「顔」をつくるようにしています。

また、特にに大変厳しい先生でした。ちょっとでも音をはずすと先生の怒鳴り声が飛んできました。たまにピアニストさんが音をはずしても怒鳴ってましたっけ…。おかげさまでに関してはその後、他の先生方によく誉めていただけるようになりました。

小学校高学年で先輩方が辞めていき、いつのまにか一番大きい生徒になっていました。よって発表会ではいい役をいただいてましたが、イコール難しい役ばかりでいつも必死でしたね。唯一本番の時だけ先生もさすがに怒鳴れないので思いっきり踊れました。頑張った御褒美だったんでしょうか?そんな厳しい先生でしたが毎回本番が終わると笑顔でした。次のレッスン時にはいつもの恐い先生に戻ってるんですが、あの笑顔は今でも忘れられません。 

まだまだ続きます