灘のけんか祭り−木場−


名所「小赤壁」の海岸線の隣に開けた木場(きば)地区。大昔、この地は「木庭(きにわ)の泊」と呼ばれた船の停泊地であった。その後、 港を木材を貯めておくことに利用するようになり、地名も「木庭(きにわ)」から「木場(きば)」に改めたという。 屋台を先導する大幟には、他の村が「旧○○村」と記しているなかで、唯一「木場港」と刺繍している。 平成7年に新調した現在の屋台の屋根は船の舳先を裏返したような「水押(みよし)造りの四方波切型」であるのも、船どころと して栄えた木場ならではのもの。屋台の原型もこの木場から生まれたといわれている。 屋根の紋は前後が「菊水」、左右が「左三つ巴」。他村よりもテンポの速い太鼓の音は木場の「独壇場」をつくりあげる。

屋台は前日の13日に屋台蔵より出され、木場地区南部の大木庭に移されます。


明けて14日には、大木庭から、東の町、中西町、西の町と通って村内を練り歩き、松原八幡神社を目指します。


先代の木場屋台が松原八幡神社を目指して村内を進んでる風景です。 木場は灘地区の中でも神社より遠い場所に位置しており、 そのため、年老いた方など神社までなかなか足を運べない人もいます。 木場はそのような方たちの為に村の中でも盛大に屋台練りを披露します。 もちろん他の村でも同じ光景を見ることができます。 20万人が訪れる祭りになろうとも飽くまで氏子本位の秋祭り、神社前・広畠だけが「灘祭り」ではありません。


なお、この先代屋台は現在、神崎郡福崎町は熊野神社の西野区さんで練られています。 撮影時には見事な練りを堪能させていただきました。


上記屋台よりさらに一代前、先々代の木場屋台と東山屋台の練り合わせです。


こちらも先々代の木場屋台です。場所は中村の屋台蔵を過ぎたところぐらいでしょうか。 紫に白の伊達綱です。


幟の後ろに続く「お迎え提灯」は、 かつて神功皇后が木場港に寄港した際、船提灯で出迎えた故事にちなんだもので中学生がその役目を担います。


15日の本宮、神輿に次いで各村の屋台がお旅山に向かいます。 この順番は変わること無く、木場を先頭に松原・中村・妻鹿・宇佐崎・東山・八家の順番です。 なお、練番に当たっている村は、神輿を担ぐため、屋台を出さず最初に御旅山に向かい、山上へ上がっていきます。


14日の宵宮、お宮へ向かう道中に山陽電鉄八家駅前で八家との練り合わせが行われます。 互いの健闘を祈りあう見事な練り合わせです。


宮前や広畠で見られる、仲の良い松原との練り合わせは、両村とも他村と練り合わす時以上に気合が入るそうです。


この仲の良い両村の練り合わせは昔から変わりません。きっかけは村同士の大喧嘩からだそうです。


木場の菊水紋です。その上の露盤には阿吽の唐獅子と牡丹、そして阿吽の金剛力士像が彫られています。