松原八幡神社は天平宝字七年(763年)4月11日、宇佐八幡宮から分霊を勧請して創祀したと伝えられている。 祭神は品陀和気命(ほんだわけのみこと)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)、比淘蜷_(ひめおおかみ)の三神。

松原八幡神社は長い歴史の間に二度戦乱に巻き込まれその社殿を焼失しています。一つは中世「応仁の乱」。 当時この地を支配していた赤松氏と山名氏との戦いに巻き込まれ焼き打ちにあっています。 後にお家再興を果たした赤松政則によって再建されます。二度目は戦国時代末期。播磨平定を図る羽柴秀吉と 三木城の別所長治の合戦の際に、どちらからも援軍の依頼をうけますが、あいまいな態度をとり、別所長治の怒りをかってしまい またもや神社に火を放たれてしまいます。その後松原八幡宮社僧霊山坊快祐が社殿を再建したのでした。



また、かつて羽柴秀吉がこの地を平定したとき、この神社を城南の芝原(今の姫路市豊沢町)に遷すように命じました。そのときに秀吉に 松原は由緒ある地だと諭し、この地での存続を懇願したのが、名軍師・黒田官兵衛孝高だといわれています。千石千貫といわれた社領を わずか六十石に減じられながらも松原八幡神社はこの地で存続することができたのです。老朽化により傷みの激しかった拝殿は平成6年より全面改修され、翌年7月に竣工しました。



拝殿内には各村の太鼓のバチが展示されています。村によってバチの形状は違います。画面下のバチは獅子屋台のバチです。


祭り月の10月1日になると「神輿修築奉据祭」が執り行われ、昨年壊された三基の神輿が修繕され拝殿内に飾られます。



絵馬殿も昭和56年に解体されたままになっていたのを平成6年に氏子の手によって再建されました。10月に入るとここでお守りをうけます。



妻鹿の先人「倶釣」を祭っている「倶釣社」です。この漁師「倶釣」が御神体となる霊木を松原の海中から拾い上げ、 松原八幡神社の創祀に大きく関わったとされています。妻鹿地区の人は祭り当日の朝、このお社にお参りしています。 なお、この「倶釣社」は妻鹿地区が練り番であった平成16年度に、約230年振りに再建されました。